年表で見る錦の歴史

錦小路と改名

それまでは具足小路(ぐそくこうじ)や、くそ小路と呼ばれていましたが、時の天皇である後冷泉天皇が錦小路と改めたと言われています。

魚市場への第一歩

幕府が初めて魚問屋の称号を許し、上の店(かみのたな)、錦の店、六条の店を京都の特権的鮮魚市場として三店(さんたな)魚問屋とし、錦市場は本格的な魚市場への第一歩を踏み出しました。

江戸時代の京都の名所記「京雀」に載っている挿絵

中央卸売市場の発足

昭和2年、全国で最初の京都中央卸売市場ができ、錦市場からも多くの店が移っていきました。

京都錦市場商店街振興組合の設立

錦栄会を発展解消し、京都錦市場商店街振興組合を設立。

錦小路の魚店 1963年8月1日 京都新聞掲載

大手スーパー進出を阻止

大手スーパーが錦市場近隣に出店するという情報が流れました。そこで錦の組合員は近隣から土地を買収して、大手スーパーの進出を阻止しました。

日増しに慌ただしくなっていく錦市場 1968年12月7日 京都新聞掲載

新アーケード完成

総工費17億余円、「柱なし工法」による現在のアーケードが完成しました。5ヶ所の辻の天井画には京の食文化の伝統が四季とともに描かれています。

完成した新アーケード

立体駐車場と学生マンション運営

タウンマネージメントを目的として、2008年に設立した京都錦小路まちづくり合同会社を介して、立体駐車場と学生マンションの運営を開始しました。

振興組合創立50周年

8月1日に京都錦市場商店街振興組合は50周年を迎えました。記念式典・祝賀会を行い、50周年記念にちなんで、錦・高倉入口に伊藤若冲誕生地を示す「若冲生家跡」モニュメントを設置しました。また、50周年を記念して様々なイベントを実施しました。

モニュメント除幕式の様子

魚市場「魚の立売り」の発祥

錦小路の魚市場の歴史は古く、延暦年間(782-805)に開かれたといわれていますが、確実な資料はありません。しかし、この地は清冽な地下水に恵まれていたため魚や鳥の貯蔵等に適しており、人口の多い都心部にあったところから、魚鳥の御所納入の往帰に自然発生的に市が立ったことは容易に推測できます。

魚店の始まり

7月12日付の淀魚市次郎兵衛による書付には、淀魚商人が錦小路で替銭をするよう書かれてあり、すでにこの時代には錦小路に数軒の魚店があったことを示しています。

店数減少

明治維新後、株仲間、三店魚問屋の特権が廃止され同業者間の過当競争のため市場は混乱を極め、明治16年頃には大店7軒にまで激減しました。

錦盛会の結成

水産魚介類業を中心に「錦盛会」が結成され、錦市場は新たに活気を取り戻しました。

京都錦盛会 創立50周年誌

錦栄会の設立

青果業や精肉業などの食料品店を加え「錦栄会」を設立。ここにあらゆる食料品を取り扱う「京の台所」として新たに出発しました。

錦市場 1957年6月15日 京都新聞掲載

「錦の命の水」共同井水事業の開始

阪急電車の河原町延伸で、錦小路を始めとする近隣地域の水脈が断ち切られ、井戸水が枯渇しました。しかし、当時の組合の働きかけにより、京都市より共同井水事業の許可が下り、井水設備の工事により、昭和40年、井水事業が始まりました。

京都錦市場商店街青年部会発足

京都錦市場商店街振興組合青年部会が発足しました。以来、青年たちの感性によるイベントや他商店街青年部との交流が続けられています。

石畳道路工事着工

老朽化により、石畳の舗装工事に着工しました。工事期間中は共同井水の配水が停止され、水道水の使用を余儀なくされました。

「錦にぎわいプロジェクト」立ち上げ

商店街のブランド力を守るため、テナントミックス事業として商店街にふさわしい出店希望者をあらかじめ登録を行い、出店時に積極的にアドバイスを行っています。

「錦市場」商標特許取得

錦のブランド力を一層高めるとともに、「錦市場」の安易な利用を防止するため登録商標を取得しました。

石畳道路工事着工

スローフード発祥の地であるイタリア・フィレンツェ市のサンロレンツォ中央市場と食文化の交流を目指して友好協定を締結し、双方で食を通じたイベントや食材販売を行っています。

調印式の様子